続いて、実務的な視点から掘り下げていきます。
それぞれが困ることをもう少し掘り下げていきます。
1.質問を制限されて被告人乙が困ること
乙が困ることはそこまで難しいくないかもしれません。
前回とほぼ同じです。
Sの異議が認められると乙の被告人質問が制限されてしまいます。
仮に丙方ではなく戊方にいたというのが真実であったとします。
その場合、乙は無罪になる可能性があります。
被告人質問を制限されることによって乙は無罪になる可能性を奪われることになります。
これは相当な不利益と考えざるを得ないでしょう。
公判前整理手続の予定主張と違うことを法廷で述べることで、ここまでのペナルティが課されて然るべきなのでしょうか。
また、波及効果としては、公判前と少しでも違うことを言ってしまうと被告人質問が直ちに制限されてしまうのであれば、公判前手続で出す主張の準備に慎重にならざるを得なくなるという面が出てきます。そうすると公判前整理手続にかえって時間がかかってしまうことになり、「審理を継続的、計画的かつ迅速に行うという公判前整理手続の趣旨」にかえってそぐわない結果となってしまいます。
2.質問を制限されないと検察官Sが困ること
検察官が困ることを具体的に考えるのは少し難しいと思います。
(1) 立証準備が台無しになる
そもそもSは公訴事実について有罪立証できると考えて起訴しています。
少なくとも公判前整理手続段階の「丙方にいた」という予定主張と、公判期日においてその主張に基づいてなされるであろう「丙方にいたという被告人乙の供述は信用できない」という見通しをもって準備していたはずです。
ところが「戊方にいた」という新しい話が出てくるとそれまでの準備が台無しになってしまいます。
(2) 今さら話を変えても信用されないか?
もちろん、今さら「戊方にいた」という話が出てきても、捜査段階で話していなかったわけで、供述の核心部分に変遷がみられるから、供述は信用できないのではという議論はあるでしょう。
しかし、この問題では、意図的にと思いますが、被告人乙が、戊方について「J県M市△町△番の戊方」と具体的な住所まで話し始めており、思い出した理由として「戊から手紙が届いた」とまで話していることから、もしかしたら戊という人物が実在するかもしれない、被告人乙の話が本当かもしれないという可能性が一概に否定できない状況にあります(思い出した経緯の真偽はあると思いますが。)。
もちろん、この事件の検察官の立証の軸は甲の供述です。
甲の供述が信用できるかがかなり重要です。
しかし、刑事裁判では、立証責任を負う検察官が、合理的な疑いを超える証明があったと裁判官に心証形成してもらう必要であり、被告人は無罪を証明する必要はなく、合理的な疑いを差し挟めば足ります。
甲の供述と比較して被告人の供述が完全に信用できるまでとは言えないとしても、被告人供述をアナガチ排斥できないとなれば、無罪になる可能性はあります。
(3) 補充捜査・追加立証が必要になってくる
以上を踏まえて「検察官が困ること」をより具体的に考えます。
検察官からすれば、もっと早く「『戊方にいたという話が出ていれば、戊という人物の実在や戊という人物へ乙のアリバイに関する事情聴取といった裏付け捜査ができたのに』と困る」ということです。
もう少しはっきり言えば、甲の供述を信用できると判断し乙を起訴した検察官の立場からいえば「戊方にいたという乙の弁解をつぶす捜査ができたのに」ということです。
確かに、弁解をつぶす捜査ができないことによって有罪となるはずの乙が無罪になるのは検察官からすれば大変なことです。
なお、戊という人物に関する追加立証は検察官ではなく弁護人がする可能性はあります。しかし、公判期日後に戊からの手紙で思い出したというのであれば被告人質問実施前に戊という人物について証拠調べ請求や証に尋問請求を弁護人がし得た可能性もあり、そのような事情が問題文にない以上、弁護側からの追加証拠調べ請求はないことを前提として、検察官が補充捜査・追加立証する可能性を検討しています。
3.裁判所が困ること
裁判官が困ることも想像が難しいかもしれません。
(1) 無罪を有罪にしてしまう?
前回も述べたとおりですが、仮に乙の戊方にいたという供述が真実であるのに、質問を制限すると、(厳密にはそのまま新たな証拠調べをせずに判決に向かえばですが)無罪になるかもしれない人物を有罪にしてしまうかもしれないという悩みが出てきます。
(2) 審理計画が台無しになってしまう
ア 審理計画とは
では自由に話させていいかと言うとそうもいきません。
ここから先のイメージは難しいと思いますが、公判前整理手続に付された事件は最終的に審理計画を定めることになります。
何日の何時何分に何を何分やるかタイムスケジュールを決めるイメージです。
時間割と言ってもいいかもしれません。
イ 被告人に話させる程度では影響は小さい
被告人が戊方にいたという具体的な話を始めたとなれば元々予定していた被告人質問の時間が長引いてしまうかもしれません。その程度であれば数十分程度の被告人質問の延長で済み、審理計画に影響は生じない気もします。
仮に裏付け資料として弁護人が戊からの手紙を証拠調べ請求してきたとしても、無罪に関係し得る証拠であること、(信用できるかはさておき)忘れていたという言い分があること、取調べ時間も短いこと等から、316条の32Ⅰの「やむを得ない」が認められ得るか、316条の32Ⅱの職権で採用し得るところです(検察官が同意するかどうかという問題はあります。)。
ウ 補充捜査・追加立証が出てくるか
しかし、仮に検察官から補充捜査をしたいという話があり、将来的に戊の供述調書や戊の証人尋問を請求する可能性があるという話が出てくると状況が違ってきます。
検察官の準備期間を確保するために、当初のタイムスケジュールを維持できなくなるでしょう。
たとえば、この問題では、公判前整理手続で決められた審理計画として
・第1回公判期日〇月▲日◆時~ 冒頭手続→同意書証取調べ→甲の証人尋問
・第2回公判期日●月▽日□時~ 被告人質問
・第3回公判期日◎月▼日■時~ 論告弁論→結審
・第4回公判期日△月◇日×時~ 判決言渡し
と定められていた可能性があります。
検察官が補充捜査をしたいということになれば、第3回公判期日で論告弁論というわけにはいきません。
公判期日を取消して(期日間整理手続に付する等して)仕切り直しをする必要が出てきます。
裁判所からするとせっかく定めた審理計画が台無しになりますし、公判前と違うことを言い始めたからと言って、簡単に仕切り直しを認めてしまっては公判前整理手続の存在意義が問われかねません(他の事件への波及効果も懸念するかもしれません。)。
エ 補充捜査・追加立証の機会を与える必要があるか
では必ず検察官に補充捜査・追加立証の機会を与える必要があるかというとそうでもありません。
たとえば、被告人の戊方にいたという話が公判前の丙方と同様、
・住所はJ県内だったが覚えていない
・戊が本名かはわからない
・戊方で何をしていたか覚えていない
という抽象的な話であれば乙の話の信用性はかなり怪しく、甲の供述さえ信用できれば裁判所は有罪認定することになると考えるかもしれません。
そのため、検察官の補充捜査・追加立証の機会を与える必要性はないでしょう。
しかし、繰り返しになりますが、戊方について「J県M市△町△番の戊方」と具体的な住所を話し、何をしていたかまで具体的に話をできそうな状況にあります。
そうすると乙の話を聞いただけでは乙の供述が信用できるかできないか判然とせず、戊という人物の存在や存在するのであればその話を聞かなければ裁判所は結論を出しづらい状況になってきます。
そうすると補充捜査・追加立証の機会を与える必要が出てくる事案であり、結果として審理計画に大きな影響が生じてしまうことになります。
4.あてはめ
(1) まとめ
以上をまとめると
・新たな供述の重要性は無罪に直結し得るものであり極めて重要。
・乙は公判期日後に戊から手紙を受け取り思い出したと供述しており、新たな供述を始めた経緯は一見して不合理とは言えない。
他方、
・戊方にいたという新たな供述は一見して不合理とはいえず検察官が補充捜査・追加立証を求める可能性があり、その場合には期日を取り消す等をしなければならないことから、審理計画に極めて大きな影響を与えることになる。
ということになります。
(2) どこに比重を置くか
こうなってくると結論はどちらとも言えそうです。
ただ、前回申し上げた通り「結論が大事」という点を考慮する必要があるように思います。今回の戊方にいたという供述はそれが合理的な疑いを生じさせるものであれば無罪に直結し得るものです。
また、被告人質問は、みずからの弁解を述べる最大の防御の機会であり、手続保障をできるだけ与えるというのが通常の発想と思います。
したがって、乙が話そうとする供述の内容やその供述をするに至る経緯に考慮要素の重心をおくことが素直と考えられます。
審理計画に大きな影響を与え得るとしても、新たな供述をするに至った経緯に乙に(一見して)帰責性がないのであれば、無罪に直結し得る戊方にいるという供述を制限することは難しいという結論が素直と思います。
5.制限してもしなくても結論は変わらない可能性
ここまで来て、身もふたもない話です。
通常は、
①被告人質問を制限する→結審→判決
②被告人質問を制限しない→検察官に対応を検討してもらう→補充捜査・追加立証の可能性があれば期日を取り消す→期日間整理手続等に付して仕切り直し→期日間整理整理手続終了→(あれば)戊に関する追加立証→再度被告人質問→結審→判決
という流れかと思います。
もっとも、質問を制限したとしても必ずしも判決に向かうとは限りません。
①で制限したとしても、②の流れと同様、被告人質問は制限するものの、期日間整理手続に付して審理計画を定め直し、戊方にいたという話は再度の被告人質問で話をしてもらうという進め方はあり得なくもありません。
制限→仮に乙が戊方いて無罪であったとしても被告人質問を制限されて有罪になってしまう
と考えがちになってしまうかもしれず、それがこの問題をさらに難しくしている可能性があります。
しかし、刑事訴訟の手続き上は必ずそのような進行になるとは決まっていません。
この場の被告人質問を制限しようがしまいが、問題文の裁判の結論自体は変わらない可能性があるのです。そう考えると問題も気楽に考えることができます。
手続の全体的な流れを理解していると、問題文がぐっと読みやすく解きやすくなるいい例です。